日本代表の人気は高い Jリーグの人気は低い
日本では若い世代の人たちを中心にサッカーの人気が高くなっていて、かつては野球のものだったナンバーワン人気スポーツの地位を手に入れたように言われることもあります。
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確かにサッカー日本代表には日本中から大きな注目が集まりますし、ワールドカップを始めとする日本代表の試合は会場が満員になる上に、テレビ中継の視聴率も高い数字を叩き出しています。その点に着目すると、日本のサッカー人気は高いレベルで定着していると言えるかも知れません。しかしJリーグの人気について見てみると、決して高いとは言えないのが現実です。
サッカーに大きな関心がある人ならともかく、Jリーグに所属しているチームがいくつあるのか、昨年の優勝チームはどこなのかといった質問をされて、正しく答えられる人は多くないでしょう。サッカーファンだけではなく国民全体が関心を寄せる日本代表と比べると、Jリーグに対する日本人の関心はかなり低いと言わざるを得ません。またJリーグの試合の観客動員数は、人気が低迷していると言われるプロ野球と比較すると、実はかなり劣っているのです。
そのようにJリーグの人気が低い理由としては、一流選手がすぐにレベルの高い海外のリーグに移籍してしまうことが大きいでしょう。サッカーファンでない人でも名前を知っているような人気選手の多くはJリーグではなく、プレミアリーグやセリエAなどの海外のプロリーグでプレイしているのです。
Jリーグの選手についてスポットライトが当たることはあまりありませんが、海外で活躍する選手についてはニュースなどでよく報道されています。日本代表には海外からスター選手が集まって来るので、サッカーに特に詳しい人でなくても楽しみやすいですが、有名選手が少ないJリーグの試合を観てもあまり楽しめないため、どうしても人気が低くなってしまいます。
日本のサッカー人気が本当に定着したと言えるようになるには、日本代表だけではなくJリーグの人気を高めなければならないと言えるでしょう。
日本の歴代人気サッカーゲーム・サッカー漫画を紹介
日本サッカーは1993年Jリーグが開幕してから急速な発展を遂げましたが、Jリーグ開幕以降、サッカーゲームはゲーム市場において人気ジャンルの一つとなりました。その先駆けとなったと言われるのが「スーパーフォーメーションサッカー」というスーパーファミコンのゲームソフトです。こちらはそれまでに存在してきた平面的なゲームとは違う3D視点の画面が受けて若い年齢層の間で大ヒットし、1990年代前半の日本では2人対戦プレーに熱中する少年たちがたくさん存在していました。
その後、1990年代半ばには「ウイニングイレブン」シリーズが発売され始め、Jリーグ人気は下降していく中においてこのゲームに関しては2000年代に入って人気が爆発しました。そしてJリーグの選手ではなく各国代表を操ることが出来るワールドサッカーバージョンも誕生し、毎年新しいバージョンがリリースされて長くサッカーゲームの頂点に君臨し続けています。
続いて、サッカー漫画についてはJリーグが開幕するはるか前である1970年代・1980年代から幾つかの人気漫画が存在し、サッカーの普及に大きく貢献してきたことで知られます。その中でも1980年代前半から長くサッカー漫画の頂点に君臨し続けているのが高橋陽一氏による「キャプテン翼」シリーズです。この作品は、一度、少年ジャンプでの連載が終了したものの、その後断続的に続編が連載されるようになり、主人公の翼は大人になってスペインの強豪・バルセロナに入団するまでになりました。
その他、キャプテン翼並みの影響力を誇るサッカー漫画がなかなか出てこない中、近年新感覚のサッカー漫画がプロ・アマの指導者や指導者の心の中を知りたい選手達に大きな影響を与えていることで知られます。その作品とは選手ではなく監督目線のサッカー漫画「GIANT KILLING」で、2007年から週刊モーニングで連載されているこの作品は数々の指導者・選手が愛読書に挙げていることが主な要因となって、年々人気が上昇しています。
サッカーのシステム・フォーメーションは複雑化している
サッカーのフォーメーションとは、1990年代半ばまで「3-5-2」「4-2-2」「4-3-3」の3種類あたりが一般的だったところがあります。ところが、クラブ主導ではなく新聞の予想フォーメーションを起源としてFWとトップ下を分けたり、攻撃的MFと守備的MFを別ポジションとみなす流れが出てきました。そんな中からメディア主導で1990年代後半より「3-4-2-1」「4-3-1-2」といった表記が世界的に浸透していき、今では4列のフォーメーション表記が一般的になっています。ただし、予想フォーメーションにおいてメディアは4列表記をしたがるものの、クラブ・監督が考えている実際のフォーメーションとは相違があるケースも存在します。
2000年代に入ってからのフォーメーション・システムの多様化の代表的といえるのがASローマが採用した、いわゆる「0トップシステム」です。これはフォーメーション的には1トップの位置に入っているものの基本的にはトップ下の選手であるトッティが実際には主に下がり目でプレーする仕組みになっています。ただ、局面によってはフォーメーション通りワントップの位置でもプレーし、相手のマークが付きにくい中でトッティはリーグ戦にて26得点を挙げたシーズンもあります。
Jリーグの中には「DFW(DF+FW)」と称される高い攻撃力を誇る選手が2000年代に入って登場し始めました。田中マルクス闘莉王が一番良い例で2000年代中盤の浦和は、彼の攻撃力を活かして「闘莉王が上がったら必ず鈴木啓太がDFラインに入る」という可変システムを導入します。それがうまくいって闘莉王は安心して攻撃参加できる環境の中でたくさんの重要なゴールを決め、この時期の浦和の可変システムは関係者等に絶賛され続けています。